【カド記事】
ここ近年、教育に過敏になりすぎて、偏った方針で子供に接する大人が非常に増えています。
その一つの例が、「学歴至上主義」の教育方針。
幼い頃からみっちりと塾に通わせ、小学校・中学校の受験をし、有名私立学校に入学させる為に奔走する親も少なくありません。
そうした親の中には、「小学校の授業なんて、レベルが低くて子供にとって何の役にも立たない」と考えている人もいるのだとか・・・
実際に小学生の年齢くらいから子供を塾に通わせる理由の中で、「学校教育のレベルが低い」という理由が上位を占めているというアンケート結果もあります。
この話は、とある大手塾の入塾説明会で起きた話。
親から塾講師への質疑応答の中で、一人の親が「小学校の授業なんかに、意味はないと思っている」と発言した事から始まりました。
それまでにこやかに塾について語っていた塾講師。
しかしその母親がそう言い切った瞬間、顔から笑顔が消えました。
そして、その親に対して、教育とは何かと諭す様に、一つのメッセージを伝えます。
その塾講師は、ゆっくりとした口調で語り始めました。
「前提として、これはあくまで、僕個人の見解ということをご理解下さい。」
「子供が小学校の授業に参加する事に意味なんかないという話ですが、僕はこれはそうではないと思います」
「子供にとって、どんな教育か必要かを、一度考えてみてください」
「恐らく、この塾の入塾説明会に来ている人は、子供の成績を伸ばし、良い学校にいれさせる事が、良い教育であると考えていることと思います」
「もちろん、私どもの塾も、成績を伸ばし、良い学校に入学させる事を目的にして事業をやっているので、これが重要であると考えているのは言うまでもありません」
「しかし、塾と学校は、大きく役割が異なると思っています」
「塾の役割は、とにかく試験やテストの成績を伸ばす事です。その為のカリキュラムを組み、みっちり勉強を教えます」
「しかし学校は、試験やテストの成績という限定的な要素だけを伸ばす場所ではなく、『人間的な成長機会』を与える場所なのです」
「学校という社会で生きる事により、人と調和をしながら生きる事を学び、規則校則の中で生活する事で、秩序の成り立ちを学ぶ」
「人の気持ちを感じ、社会の生き方を感じ、友情や愛情・喜怒哀楽の感情を育て、未来を生きる上で必ず必要な『自我』を築き上げる場なのです」
「極論言えば、子供の頃のテストや試験の点数なんて、将来を生きる上では、何の役にも立ちません」
「皆様も、過去のテストの点数が、今の生活に左右されていると感じながら生きてはいないはずです」
「しかし、自我というのは、人間の根底の部分になります」
「人に優しく、愛し、受け入れながら生きる事ができるか。社会に優しく、愛し、受け入れながら生きる事ができるか」
「これができるかできないかで、将来の幸せは大きく異なってくるものです」
まるでその場の空気を全て吸い込む様に、その場にいた父兄を引きつけながら、淡々と語る塾講師。
その言葉には、教育のことを真剣に考えているからこそ伝えられる、『重み』がありました。
「皆様が、子供を良い学校に入れたい、試験の点数を伸ばしてあげたいという気持ちはよくわかります」
「しかしそれと同じ位、いやそれ以上に、子供の人間性を伸ばす事も重要なのです」
「この塾では、試験やテストの点数を伸ばす事に全力で取り組ませていただきます」
「でも、決してその表面上の数字だけで子供の成長を判断するのではなく、人間としての成長を、しっかり子供を見て、学校と協力しながら、育てていってほしいと思います」
塾講師の方が話終えると、その場に居た人全員が、大きな拍手で講師のお話に応えました。
質問をした方も大きく共感した様に、「ありがとうございました」「私も頑張ります」と小声で答え、質疑を終えます。
ジャーナリストとして、また社会の問題を考える立場にいる私にとって、この塾講師の話の場に入れた事は幸運であり、また非常に学びになる瞬間でした。
有名校に入れたいと考える親は、私も含め、子供に対しての評価を定量的な尺度で図ろうと考えてしまいがち。
しかし教育の中で一番大事にしなければいけない「人間性」をどこかに置いてきてしまうと、良い学校に入れる教育はできても、素晴らしい人間に育てるという『子供の教育』という面では、あまり望ましい結果はでない様に思います。
子供にとって大切なものはなんなのか。
それを今一度、子供の未来を考えながら、真剣に考えてみてはいかがでしょうか。