先日、陸上教室体験会のチラシを配り終わった後の出来事。
配布後いつも道端にチラシがぐちゃぐちゃ、ビリビリになって捨てられる事があり色々な意味で毎回心が痛いなと感じていました。
単純に自分が住んでる街に平気でゴミを捨ててしまう感覚。目の前でビリビリに破り捨てる子供もまれにいます。相手がどのような気持ちになるか?道端にゴミを捨てて、それは誰が掃除すんの?そんなことで、話しをしたり、本気で叱ったりすることもしばしばあります。
先日、とある小学校で配布後にゴミの回収をしている時、とある先生もチラシのゴミを拾って下さっていました
『先生ご迷惑をおかけしてすいません』
「いやいや、こういうのは全校集会でちゃんと話ししないといけないです。平気でゴミを街中に捨てる。だめでしょう。本当にすいません。」
単純に子供たちの事を思っての言葉だったと思いますが、なぜか嬉しい気分になりました。
こんな事もよくあります。
いつもゴミ回収をしていると、「めっちゃすててるやん!ありへへんな~」と言いながら一緒にゴミを拾ってくれる小学生。「あっ!それ。なんのチラシですか?・・・いりません」とはっきり言える子。そんな当たり前の感覚や『ええやつやんっ!!』と和気あいあいと大人も子供も関係なく人として道徳的な感覚のある子供たちと出逢えることも。
話しは変わりますが、今年の渋谷でのハロウィンは相当な数の人が訪れ、仮装したゴミをどうするか?みたいなニュースが取り上げられていました。案の条、ゴミは街中に放置され散乱・・・。でも、今年は仮装した若者やその街の出身者などが中心に自ら夜中に街をきれいにするためにゴミ拾いを行ったことで早朝には渋谷の街もきれいになっていたというニュースもありました。
【全文】
「ともだち」 谷川俊太郎 作
「ともだちって」
ともだちって かぜがうつっても へいきだって いってくれるひと。
ともだちって いっしょに かえりたくなるひと。
ともだちって おかあさんや おとうさんにも
いえないことを そうだんできるひと。
ともだちって みんなが いっちゃったあとも まっててくれるひと。
ともだちって そばにいないときにも
いま どうしてるかなって おもいだすひと。
「ともだちなら」
ともだちなら たんじょうびを おぼえていよう。
ともだちなら びょうきのときは おみまいに いこう。
ともだちなら たびにでたら えはがきを かこう。
ともだちなら かりたものは きちんと かえそう。
ともだちなら いやがることを するのは よそう。
「ひとりでは」
ひとりでは もてない おもいものも ふたりでなら もてる。
ひとりでは とどかない せなかも
ともだちが いれば かいてくれる。
ひとりでは こわい よるのみちも
ふたりで あるけば こわくない。
ひとりでは つまらないことも ふたりで やれば おもしろい。
ひとりでは できないことも ともだちと
ちからを あわせれば できる。
「どんなきもちかな」
しかられた ともだちは どんなきもちかな。
なかまはずれに されたら どんなきもちかな。
しっぱいを わらわれたら どんなきもちかな。
ないしょばなしを されたら どんなきもちかな。
やくそくを やぶられたら どんなきもちかな。
「けんか」
じぶんの いいたいことは はっきり いおう。
あいての いうことは よくきこう。
わるくちは いったっていい、
でも かげぐちを いうのは よくないな。
けんかは したっていい、
でも ひとりを たくさんで いじめるのは ひきょうだ。
おかあさんや おとうさんや せんせいに
いいつけるのは ずるいんじゃないかな。
なかなおりをするには けんかをするのと
おなじくらいの ゆうきがいる。
だけど わるかったと おもったら「ごめんね。」と あやまろう。
「ともだちはともだち」
すきなものが ちがっても ともだちは ともだち。
ことばが つうじなくても ともだちは ともだち。
としは ちがってても ともだちは ともだち。
おかあさんと おとうさんも ときどき ともだちみたい。
にんげんじゃなくても ときには ともだち。
「あったことがなくても」
どうしたら このこの てだすけが できるだろう。
あったことが なくても このこは ともだち。
このこのために なにを してあげたら いいんだろう。
あったことが なくても このこは ともだち。
おかねもちのこ まずしいこ、
どうしたら ふたりは ともだちに なれるだろうか。
だれだって ひとりぼっちでは いきてゆけない。
ともだちってすばらしい。
ともだちと てをつないで ゆうやけをみた
ふたりっきりで うちゅうに うかんでる― そんな きがした
ともだちと けんかして うちへ かえった
こころの なかが どろで いっぱい― そんな きがした
ともだちも おんなじ きもちかな